忘れてしまったパスワード
「そんなに急いでどこへ行くんですか?」
「年齢を当てましょうか?」
駅の階段を上がるとき、後ろから声がした。
なんだ、スタンドカフェの客寄せロボットか。
ちらっと横目で見ると、真っ白い顔で立っている。
それは、とあるOA機器の発表・展示会へ向かう途中のことだった。展示会では人手不足を解消するための最新機器がずらっと並んでいた。見事に人の手が要らなくなっている。これじゃあ、ますます人手はなくなるなあ。
手だけじゃなくて、人がいなくなるほど、言葉がなくなる。会話もなくなる。
「いかがですか?」と得意気に説明する営業担当に、「すごいですね、すべて欲しいですね。でも、お金もないし、欲しいけど、要らないな……。だって、人がいないと、なんか寂しい」と言ったら、たくさんの人で賑わう会場の片隅で「そう、寂しいですよね」と、意外なほどきっぱりとした答えが返ってきた。正直な人なんだな。
心の窓は二重構造だ。内に開く窓と外に開く窓がある。
外に開く窓は、人と関わらなければ開く必要もない。うっかり外に開いていた窓から、閉じている自分を見せることはあったとしても、内に開く窓というのは、一人でいるときこそ開かれて、自分という一番身近な他者と対話することになる。
外に開く窓を閉じたまま、内に開く窓も閉じているのは息苦しい。閉めっぱなしでは不自由だ。まずは内に開く窓を開いて自分と対話する。そうして、少しずつ、外に開く窓も開いたら、かなり風通しよく心は自由になっていく。
少子高齢化や人手不足といった社会環境に加えて、ネットでの検索、電子メールのやり取りといったメディアの変化の中では、他者と言葉をやり取りせず、自分と対話する時間が長くなっている。
人は言葉を発さないときも、内面で話をしている。会話が少なくなるほど、内面の言葉は増えるはずだが、インターネットは、他者と関わったなど外向きの窓だけを開いて反応し、内への窓は閉じて、内なる言葉には耳を貸さないという状況も作り出している。自分を守るために作ったパスワードをいつの間にかすっかり忘れてしまったかのように、気持ちを問われて戸惑う人もいる。
世界中の誰もが内面に持っていて、小さくなったり大きくなったり、熱くなったり冷たくなったり、重くなったり軽くなったり、飲み込んだり、飲まれたり、確かにあるのに目に見えないもの、なーんだ?それは「気持ち」。
気持ちには、「感情」と「欲求」がある。
感情は、寂しい、怖い、疲れた、悲しい、楽しい、嬉しい……シンプルで短い言葉で表せる。
そして、感情は、私がどうしたいか、どうしてほしいか、という「欲求」を伝えてくれる。
◆寂しい→「話したい」
◆好き→「会いたい」
◆疲れた→「休みたい」
◆怖い→「安心したい」
「~したい」からといって、必ずしも「~する」わけではなく、「~したくない」からといって、必ずしも「~しない」わけではない。
自分の気持ちを認め、自分の中に答えを見出すことで、自分への信頼が深まる。
気持ちと付き合うことは、自分自身と付き合うことだ。気持ちを語ることで、私という物語が生まれる。
それは、人と付き合うこと、問題と付き合うこと、この世界と付き合うことへとつながっていく。
どんなに便利な文明の機器が登場しても、自分を助けて、自分の世話をして、自分に味方するものは、とりあえず「私」の内なる声なのだ。
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