さみしい夜にはペンを持て。

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HSPの真は、真摯に自分に向き合う日記とやらを始めてみようかと思った。

ある書籍に影響されてのことだ。

その書籍の中には、その日にあったことを全部書くのではなく、切り抜いて、その描写をスローモーションのように細かく、繊細にしていくことが必要だとある。

HSPの真は、読んでいる間も、書くことが待ちきれない感じだった。

どんな風に書けるのだろう。
どんな風に受け取る自分が違うのだろう。

そんな風にワクワクして、書けるタイミングを待っていた。
そんな風に切るとるとどんな風になるのだろうか。

真は、改めて、思い出していた。
そして、どんな場面を切りとろうかと思案していた。

昨日の出来事で印象的な出来事。

真は、自然と思いだしていた。昨夜の出来事だ。

その時は、夜、仕事を残ってやっていた。

仕事と言っても、人によって、作業的な仕事もあるし、その作業をどのタイミングでやるかはそれぞれだ。だから、声をかけるのも、気を遣う。
こんな瞬間にすぎに顔を出すのが、自分が自分で居られないという違和感だ。

ここにいるけど、本当の自分ではない感覚。

自分が自分でない感覚だ。

何度か、過去味わっているが、今回もまた感じる場面があった。

真は、こんなときに、声をかけるのも躊躇している自分がいるということも、感じていた。

「ああ、また繰り返しているなあ」

そんな風に頭の中をよぎる。

そして、そんな自分を感じていると余計に話ができない。
それを相手も感じているのか、変な空気感を感じるのだ。

それがさらに、話を出来なくする。

真は、居たたまれない感じになり、その場を去ろうとする。
自分の中に理由を作って、その場から居なくてもいい自分を演じるのだ。

「明日は、どんな空気が支配するのかあ。」

真は、まだ起きていない未来へのなんとなくの自分の不安を想像してしまう。
そして、いつの間にか、想像は物語になり、意味付けと解釈にまみれ、嫌な感情も想起されていく。

真は、このことに気づけるようにはなったが、気づけるようになったのは、ごく最近だ。

それまで、ずっと渦中に埋もれていた。

だから、HSPの真は、「これだけでも、進歩だよな」こんな風に思えるのだった。

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