HSPの視線と仮面(投稿)

私は、人の視線に合わせて自分をつくってきたら、
どれが自分なのか、わからなくなってしまいました。

泣いてつらいといったところで、 だれも認めてはくれません。
なにもしない休みの日になると、「自分が分からない」と考え込 んでしまうので、
ただ、忙しく立ち回ってきました。

両親から過大な期待をかけられて育つうちに、<本当の自分はもっとすごいのだ>

<いつ も完璧でありたい>と、私の中のプライドがどんどん悪い方向にふくれあがって、
それが他人との間の壁になってしまったのかもしれません。

何をしていても見えない鎖で縛られているようでつらいです。

これまでの私は「視線」というものに押しつ ぶされながら、生きてきた気がするのです。

本当は、もっと素直に自分らしく、生きてみたい のですが、人と素直に接することができなくて、
固い殻に閉じこもっているような感じです。

仮面をぬいだ自分(=感情をありのままに出 せる自分)は、この仮面をつけた自分とは別人です。
その仮面をぬいだだけなら、私自身は変 わらないのかもしれないけれど、そんな私を見た人は「あいつ、変わった」と思うかもしれませんよね。

変わった私に合わせるために、その人が変わったら、私の方がついていけなくなる。 そう考えると、仮面をかぶったままの方がいいと思ってきました。

そういえば、私の家族も、全員でロールプレイングゲームしているみたいでした。 みんな役割で生きていましたから。

いちばん古い記憶をたどってみたら、ひとりで見知らぬ街を探検し、親が探し回っている間 に家に戻ってきていた小さな自分に出会いました。

それが次第に、やりたくないことばかりやって、やりたいことはがまんして、いつも本当の気持ちを見せないキャラをやるようになっていきました。

それが固定した仮面になったのは、 中学時代でしょうか。当時、弟に「学校で話す声のトーンが家にいるときと全然ちがうね」と言われて、やっぱり、友達の前や学校では自分じゃないんだと思いました。

たしかに、私は、学校で、ずっと、声のトーンをあげてしゃべっていたかもしれない。

なぜかなあ・・。

いい人に思われたかったからかなあ・・・。

私は学校で、 いい人を演じて、みんなから好かれようとしてきました。

親の前でも、いい子してきました。

でも、かなり、ムリしています。
ムリしない自分に戻りたいけれど、そんな自分を見せたら、 人に嫌われてしまいそうな気がして、
人がこわいのではなくて、自分自身を見せるのがこわいのです。

だから、自分では人のことをすごく考 えているつもりなんだけど、考えれば考えるほど、かえってハズしてしまうのです。

なんか、自分の歴史を書いて発見したことが たくさんありました。

最近思うのは、人に嫌われるかどうかよりも、
私がだれのものでもない私のもの”になるようにしよう。

他人の視線なんかでは決められない
自由な私を見つけよう、ということです。

まだ解決し切っていない問題もあるけれど、自分 なりにやっていこうと思います。
今までの自分も嘘ではないけれど、新しい自分を少しずつ発見していきたいです。

そう分かったら、だんだん心がラクになってきました。

不安になった時には、私の歴史を読んで、”私は私のものだ!”と自分を励まします。

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